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2011年3月30日 (水)

大解体。

Yog01

丘の上のマンションの1階に住んでいる私達。
東側の窓からは
明け方には隣の丘の木々が
影絵のような幻想的なシルエットを織り成し
まるで無形文化遺産であるバリの人形劇、「ワヤンクリ」を
見るような美しい風景が望めました。

その窓から、今見える風景は・・・・・・・

ブルーシートのみ。

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いや、これもこれで幻想的っちゃー、幻想的なんですが(笑)。
震災で破損したマンションの下水管が我が家の東側にあって
先週から、朝から夕方まで
大振動&大音量の中、
東側測道の地面を掘り起こす工事をしていたのですが
昨日になって、こんな告知を受けました。
「こりゃー、お宅のベランダ、全部取っ払わないと無理ですなあ

瞬間、大笑いしてしまった私。
体内で何かがキレた音がしました。
これも60数軒のマンション住人のため。
マンションの住人さん達も、「あのお家、可哀想に・・・」と
同情しつつ、見守って下さっています。
(注:現在当マンション住人は仮設トイレ生活を送っています)

「もう、こうなったら、
何でもやっちゃって下さい!!」

・・・・・・・と、豪快に言い放ったものの
とにかく音と振動が前にも増して凄まじい!
家の中のどこにいても
ビルの解体現場のど真ん中にいる感じ。
いや、まるで自分の体を解体工事されている感じ。
時々、ガガガーーーッ、ゴゴゴーーーッという音が途切れる瞬間は
小鳥のさえずりが耳の奥で聞こえます(笑)
一日中、足先から胃、脳みそまで絶えずブルブルと揺り動かされ
自分が発する声さえも聞こえず、
誰かと話なんて、とても出来ないので
家族とは、互いに相手の唇を読んで会話しています。

我が家のベランダは3部屋分の長さ。
今日を含めて5日間は「工事現場」暮らしの予定です。
心無しか、家の中も白っぽい粉塵が漂っているような・・・。

でも、この工事が終わったら
晴れて、自宅でトイレが使えるように・・・・。
「お家(うち)トイレのために耐えよう」
「お家トイレ」「お家トイレ」
日中ずっと家の中にいる私と娘達の
現在の励ましの言葉は「お家トイレ」です(笑)


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2011年3月28日 (月)

バケツ1杯の幸福。

震災以降、休校と春休みで
ずーーーっと家にいて暇を持て余している娘2号が作った
プチ食品サンプル(笑)。
ち、小さ過ぎ・・・・・!

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毎朝、家族が起きるずいぶん前の夜明けに
温かいお茶を飲んで、
家族が「それ、似合うね」と言ってくれたシャツに着替えて
薄化粧をして
鏡に向かって「今日も頑張ろう」と自分に一声かけて
私の一日がスタートします。


マンションの下水管の問題があり、
洗濯機は使えず、仮設トイレの生活。
ガスが止まっているので、シャワーも無理。
それでも人間の順応性ってすごいモンで、
そんな不便な生活も、2週間やっていれば慣れてしまいます。


ゴム手袋をしていても、手が真っ赤になるほど冷たい仙台の水で
衣類やタオルを一枚ずつ手洗いして
休校で家にずーっといる娘達に3食作って
掃除して
本業の原稿描きをして
ボランティアワークであるブログ作業をして
娘達の髪をお湯で洗ってやって
ハッと気がついたら、一日が終わっている。
そんな毎日です。


一日の終わりの楽しみは
バケツ一杯のお湯。
毎日1時間くらい時間をかけて
のんびりと贅沢に入浴していた頃には考えられないことだけど、
バケツ1杯のお湯があれば
大人一人がちゃんと体を洗えるんですね。
夫が勤め先から持って帰ってくれた電気ポットでお湯を沸かし、
バケツに入れた水と混ぜて少し熱めのお湯を用意。
家族順番に一人1杯ずつのお湯で「入浴」(笑)。
これがとっても幸せなのです。


敏感肌の私は、その後の手入れを欠かせません。
今は娘達が家にいるので、
なかなか一人になる時間が作れないけれど
暖かくした洗面所で
一人きりで
ローションと乳液を塗りながら鏡に向かっている時は
慌ただしい一日の中の至福の時間です。
朝と同じく鏡に向かって
「よし、今日も終わった・・・」と一声。


今の私は
こんな小さなことが、幸福に感じてなりません。




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2011年3月25日 (金)

復興。

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今日で震災から2週間が経ちました。
地震があった日から3日間は終日電気が止まってしまい
こんな風に、ロウソクとランタンの灯りを頼りに過ごしていました。
ちょうど連載中の「オンナの病気をお話ししましょ。」の
子宮体がんの後編原稿を描いていた時で
昼間はまだ強い余震がある中
子供たちを守りながら雑事をこなし、
夜はロウソクの灯りで原稿を描いていた、あの頃。
たった2週間前なのに
遠い昔のように思います。

それから4日後に突然電力が復旧。
水道が復旧し、電話、ネット、携帯が復活。
今週の始めには、宅配便も再開されるようになり
東北自動車道は一般車両も通行ができるようになって
まだまだ不便な生活を強いられているものの
私の周りの人たちは
復興の信じられないほどの速さに
皆、驚いています。

その反面、元通りになっていくスピードに
気持ちが着いて行けない思いも、皆が抱えているようです。
ご家族の家が流された、
仙台に住む知人の編集者から送られて来たメールには
「復興、復興と言われても、どう反応すれば良いのかわからない」
という一文がありました。
復興の速さは、現場の皆さんの厚意と努力の証し。
日本人の底力を見るようで誇らしく思います。
でも、着いて行けない気持ちが心のどこかにある・・・・・・。
時間が経つと、これも過去の感情になっていくのでしょうか。

阪神の震災を経験した二人の友人から
「震災後2週間が精神的に一番キツいから、気をつけて」と
忠告を受けました。
大きな変化の後2週間はハネムーンと呼ばれる高揚期で
気を張って物事に取り組んでいけるけれど
その後2週間を節目として
気持ちが落ち込んでいってしまう。
そのことは私も知っていたので、
昨日の朝、子供たちにも説明してやりました。

今日は子供たちの学校の登校日。
もしかしたら、いつもいたはずの友達の姿が
ないかもしれません。
「もし、気持ちが落ち込むことがあっても
頑張って立て直そうとしないで。
どんなに落ち込んでも、それはずっとは続かない。
少しずつ、少しずつ、上がったり下がったりしながら
必ず立ち直れる時がくるから。
私はあなた達と一緒にその気持ちを味わうから、
何かあったら、全部私に言ってね」

こんな説明で良かったのか、私にはわかりません。
もしかしたら
自分自身に言い聞かせていた言葉かもしれません。

ほんの数ヶ月前は
「井上さん、ボチボチいこうよ」という、ある人の言葉に
「その、ボチボチってのが苦手なんです!」と
毒づいていた私。
今の私だったら素直に
「そうだね」と答えていたかもしれません。

少しずつ、少しずつ・・・・。
世の中の、あらゆることが落ち着いて
光を取り戻していくことを願っています。



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2011年3月24日 (木)

輸送手段の実験。

先日から各社の宅配便が
営業所受け取りでの取り扱いを始めましたが、
そんな中、震災後も配達を続けていたのが日本郵便。

地震発生後4日目、
やっと電気が復活した日の昼過ぎに
ピンポーン♪と鳴るので出てみると
何と、カタログショッピングのニッ●ンの荷物を持った
郵便配達の方がいらっしゃるではないですか。
「震災前に預かっていた荷物だけ配達しているんだけど
食品の方が優先されてて、衣料品は遅くなりました。
すみません」・・・とのこと。

「いえいえ!
こんな大変な時に、こちらこそすみません!!」と
しばし二人で謝罪大会。
で、聞いてみると
その状況でも郵便のレターパック(エクスパック)は
発送、配達が稼働しているとのこと。
ホントか?
じゃあ、担当ヨシ子嬢が
「東京から何か送る!」と言って聞かないので(あ、失礼)
送ってもらおう。
「何がいい?」と娘達に聞くと、
「小麦粉!!」(即答)

地味な子達ですみません・・・。

で、実験してみましたら・・・

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届きました!しかも翌日に!!!
(何だか小麦粉ではなく、ちょいヤバめな粉に見えますが・・・)

ヨシコ嬢がレターパックを出してくれたのが
震災後6日目の夕方。
届いたのが翌日の正午。
それも自宅にピンポン♪してお届け。

すごい!!日本郵便!!!

これで気を良くしたワタクシ、
「何か送らせて!!」と言って全然聞かない姉に(また失礼)
なくなりかけてホトホト困っていた、
敏感肌用の化粧品を頼んでみましたら・・・・

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届きました!!!
広島→仙台なのに、なんと2日間で!!!!
(おまけで色んな物、入ってるし・・・・<涙)

すごすぎる!!日本郵便!!!!

他の化粧品は使えないし、
この化粧品なしでスッピンでは
日光過敏症の私はどうにもこうにも外に出られないので
本当に助かりました。

でもって、
ヤマト運輸が宮城県への営業所留りの配達を始めた日、
友人がお母様と精魂込めて作ってくれ
真空パックに詰めてくれたお惣菜を
関西から発送してくれたのですが・・・・
「5日から1週間かかりますよ、お客さん」と言われたそうですが・・・

よ、翌日に届きました・・・・・。

日本の宅配は素晴らしい。
宅配業者の方々、お疲れさまです。

常備薬等、こちらでは簡単には手に入りません。
被災地に住む友人知人、親戚がいらっしゃる方は
宅配で送って差し上げられる物を
聞いてみてあげてください。


そして東北すべての場所に
一日も早く宅配が届けられる状況になりますように・・・。

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2011年3月23日 (水)

被災地の女性向けブログ新設しました。

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みやぎNPOプラザスタッフのMさんから
以下のようなお言葉をもらい、
急遽、被災地の女性向けサイトを立ち上げました。

今このときにも、女性特有の病気で苦しんでいる方、
妊婦さんなどに対する支援などの情報を


いつ、どこで、何が起こるかわからない時代。
同じ女性として
同じ被災地に住む人間として
「今」、役立つ確かな情報を発信したいと思っています。


新しいサイトはこちら↓
「震災にあった女性の、からだとこころの救急箱」
(2011年9月終了しました)

このサイトは
NPO法人、医師などの専門家によるご協力のもと、
確かな情報を記載しています。
泌尿器科医の先生には、ご厚意で
無料メール相談もお引き受け頂きました。
今後、コンテンツを増やして行く予定ですので、
被災地にお住まいの女性は是非、ご覧下さい。
お知り合いの女性やご家族が被災地にいらっしゃる方々は
こちらのサイトをお知らせ下さいますよう、
ご協力をお願い致します。

また、NPOプラザスタッフのMさんからは
ボランティアセンターを運営している、
各市町村の社会福祉協議会の現状、
ボランティアのマッチングに関する課題などの
ご意見をメールにて頂戴しました。
拝読し、仙台市民である私の心も大きく動きました。
社会福祉協議会を間近で見る現場の声として
ご本人に了承を得たのち、
新設サイト内にて
是非とも皆さまにご紹介したいと考えています。

今日の写真は
震災以降、自宅の中で暇にしている小5の娘2号が
そこらヘンの物を集めて作った物。
元気な新芽が出てる・・・・・。

東北の街の全てが
この新芽のように美しく、元気に復興してくれる事を願いつつ、
自分の出来る事に力を尽くしていこう。

昨日の深夜
「オンナの病気をお話ししましょ。」最終話を
入稿してからブログ作りしていたら、いつの間にか夜明けに。
シンプルなブログなのに
こんなに時間がかかるなんて、腕が落ちちゃったなあ・・・。
今日はこれからちょっと休んでから
主婦業と漫画家業に戻ることにします。



*「震災にあった女性の、からだとこころの救急箱」は
2011年9月に終了しました。
沢山の方々のご協力に感謝します。

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2011年3月22日 (火)

仙台市の災害ボランティア

仙台市では
災害ボランティア登録者が1200人を超えていますが
個人でも依頼できることを、まだ広く知られていないため
残念なことに、現在は
殆どのボランティアが「待機」を強いられ
力を発揮できないままでいるとのこと。
せっかく志がある人が集まっているのに、もったいない・・・!

家屋の後片付け、給水の手伝いなどが困難な方
仙台市HPの下記のページに記載されている
各災害ボランティアセンターにご連絡を!

そして瓦礫撤去作業などに派遣されるボランティアさん達は
倒壊した家屋のガスボンベから
ガスが漏れている可能性があるそうです。
充分に気をつけて下さい。


<UPDATE>
上記報道は後日、事実誤認ということがわかりました。
実際はニーズが無いのではなく、
対応する職員不足などの原因により
ボランティアさんのマッチングが正常にできなかったとのこと。
この頃は情報が錯綜し、
ご報道が多く存在した時期でした。

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2011年3月21日 (月)

また会うための別れ。

今日、舅姑を長男一家が住む大阪に
山形経由で避難させるため、
二人を山形行きの高速バスに乗せました。

地域外から報道を見た知人に
「高速バスが運行してるんだから県外に避難すれば?」と
割と簡単に言われる事があるのですが
今日は運良く全便運行したものの、
昨日までの1週間は
ガソリン供給の問題でバスが突然運休したり
予定便を半減したり、
積雪で通行止めになったりで
希望したからといって
すぐに県外へ逃げ込める状況ではありませんでした。
この4〜5日間、仙台に住む私達夫婦と
山形在住の知人、
大阪の長男夫婦があちこちに手をまわして
やっと今日、二人の避難が実現。
今は大きな役目を果たし終えてホッとしています。

もう80歳近いバリバリ高齢者になった舅姑には
私達が全面的に手助けしているとはいえ、
ガスの供給がない、断水地域で長期戦に挑むのは酷です。
足が不自由な二人には車を使わない生活も無理。
そのうえ車で頻繁に通院している病院が救命センターに変わり、
被災直後から早々に持病の悪化などの
健康問題が出て来たので
長距離の移動は可哀想でしたが
大阪への避難を決定しました。

大阪に避難すれば、二人が好きなお風呂にも入れるし
通院もできます。
蛇口をひねれば水が出るし、
義母が好きなスーパーだって通常営業していて
好きな調理を楽しめます。
「二人のためには、これが最善の策」とわかっていても
別れ際、二人に向かって
「無事に戻って来てね」と短いフレーズを言う途中に
涙がボロボロと出て、言葉に詰まって
なかなか最後までいう事ができませんでした。

同じく泣き始めた義母を抱きしめながら
「これは、また会うための別れなんだ」と自分に言い聞かせ
何とか涙を止めようとしましたが、無理でした。
その時の私の頭の中には
津波で被災した地域に住む、
消息不明の知人達の笑顔が浮かんでいました。
舅姑と同じく、
知人達とも、また元気で会いたい・・・。
いや、きっと会える。

「きっと大丈夫」と唱えては得られる小さな安心感と
そう言い聞かすだけしかない自分の無力さを
一日に、何度も何度も感じている毎日です。

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2011年3月19日 (土)

関東以北に住む妊婦さんへ

私の連載漫画「オンナの病気をお話ししましょ。」の
監修と解説コラムを担当してくださっている、
産科医の竹内先生
ご自身のブログで
震災や放射能についてご心配の妊婦さんに向けて
連日多くの情報を提供しています。

多くの情報が飛び交っている今、
お腹のお子さんのために
何をどう判断して決断すれば良いのか
悩んでいる妊婦さんも多いと思います。
東京から北に住んでいらっしゃる妊婦さんで
不安を抱えている方がいらっしゃいましたら
是非、ご一読ください。
また、お知り合いに上記地域在住の妊婦さんがいらっしゃいましたら
先生のブログを教えて差し上げると良いかと思います。

本来はグリーフケアを目的としたブログですが
妊婦さんにとって
安心できるサプリメントのような記事が並んでいます。

Banner_blog

本業の産科医の他、執筆や講義などで
ただでさえお忙しい身なのに
産科医としての使命を遂行するために、
お一人の力で頑張っていらっしゃいます。
先生にご質問がおありの方はコメント欄に書き込む前に
まず同種の質問の有無を
過去記事のコメント欄で確認してから、ご質問くださいね。

また、震災や原発関連を含め、すべてのご質問は
ご自分で調べられる内容か否か、
ご自身で判断され、必要な場合のみご質問下さいますよう
お願い致します。

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2011年3月18日 (金)

明るい被災家族。

震災から1週間が経ちました。
昨日までの2日間は
家族総出で
お・・・汚水処理にかかりっきりでした・・・。


一昨日の午前
マンションの1階にある我が家のトイレから
突然ボコボコという猛烈な音がしたかと思うと
トイレの汚水(てっとり早く言うと屎尿)が
便器から溢れ出しました。
大慌てで廃棄しても良い大きめな容器を幾つも用意し
何十リットルと溢れる汚水をすくっては、
屋外の排水口に持って行って流す・・・を
夫と娘達で繰り返す間、
私はマンション60数戸を一軒一軒まわって
事情説明と、水を流さないよう、皆さんに緊急のお願い。
その後、自宅の床を消毒したりと
48時間、昼夜ずーっと
屎尿・・・(あ、失礼)汚水との闘いの日でした。

管理会社に電話しても
「ガソリン不足ですぐに行けません!」と言われ、
一家4人で必死に対処していたのですが
そのうちに「伝達を手伝います!」と志願して下さる方が数人現れ、
今までお話しした事も無かった中学3年生の男の子は
「汚水運びを手伝います」と自宅まで来てくれました。
運良く下水関係の職業の方が同じマンションにいらっしゃって
寒い中、排水管の状態を見て下さったり。
非常時ということもありますが
人って、本当に温かいなあ・・・と胸が熱くなりました。
お手伝い下さった方々や
ご協力頂いた方々に心から感謝しています。

この屎尿・・・(失礼)汚水事件で奮闘している間に
何だか体の中からムクムクと力が沸いて来た私。
汚水のお陰で力が出るなんてヘンですが
2日前にあれこれあって、一瞬悲観してしまいましたが
この騒動の中、
完全に自分を取り戻す事ができました。
人間、何をきっかけに自分を取り戻せるか
わからないものですね(笑)

そして小学校で被災してからショック状態だった娘2号も
一昨日初めて自分から
地震が起きた時の彼女の状況を話してくれました。
「ドーンって音がして怖かった」
「机の下に避難したけど、小学校の机は軽すぎて
机ごと床を滑って教室のあちこちに流されて
まるで嵐にあった船の中にいるみたいだった」
・・・それは大人でも怖いよなあ・・・と思いつつ
彼女の話を、時々頭や背中を撫でてやりながら
ただただ、聞いてやること数十分。
その夕方から少し気持ちが落ち着いて来たようで
表情が明るくなってきました。

そんな娘2号が
今日の朝食のアルファベット・パスタで作っていたのがコレ。
0
「チョコレート」(笑)
そ、そうか。チョコレートか。
なかなか出番が無くて
しまい込んでいたアルファベットのパスタだったのですが
備蓄していて良かった。
「見て見て♪」と悪戯っぽい表情を私に向けた彼女の顔を見て
私の口角も思いっきり上がりました。

で、「あ。じゃあ私も何か単語を作ろう♪」と
高校生の娘1号が作ったのがコレ。
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「きみどり」(再笑)

まだまだ不安材料は山積みですが
きっと大丈夫。
私達一家は、明るく被災地で暮らしています。


<追記>
本日の教訓
震災後はトイレットペーパーを流すべからず。

地震発生後、数日間断水した後にトイレットペーパーを流すと
集合住宅の排水管が詰まって
逆流する恐れがあります。
現在、宮城県では下水機能がストップして
汚水が全て海川に流れ込んでいます。
生活排水はセーブして
トイレットペーパーは流さず、ためて小さくまとめ家庭ゴミへ。
みんなで努力して、この被災地を美しく復興したいですね。

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2011年3月16日 (水)

震災のあった街から。

11日に起きた地震から5日が経ちました。
相変わらず色んなことの対応に奔走しながら
家族の心身を守ることに努める毎日です。

水道と電気は
各会社の皆さんの懸命な尽力により復旧しましたが
下水機能がストップしているので
排水をセーブするために、
洗い物を極力出さない、
トイレは家族でまとめて用を足してバケツで流す、
洗濯も洗濯機を使わず、必要最低限の物だけ
水を大切に使い回しながら一つずつ手で洗っています。

地震があった時
高校性の娘は運良く休校で自宅にいて
テーブルの下に避難して怯える彼女を抱きしめて
「大丈夫!あと少しで治まるから!」と言ってやれたのですが
小学5年生の娘は授業中に被災。
上着も何も取れず、校庭に避難し
寒い中、皆で肩を寄せあって親が来るのを待っていました。
友達が一緒だったとは言え、
皆、自分を見失うほどの恐怖だったのでしょう。
急いで引き取りに行くと、全校生徒の半数以上の子供たちが
大粒の涙を流し、しゃくり上げながら
自分の親が駆け込んで来るであろう校門を凝視していました。
その日から、小学生の娘はショック状態が続いています。
今は一緒にいて、抱きしめてやったり、
微笑みかけてやりながら
彼女の心がほぐれてくれるのを待つのみです。

自分の娘達のことだけではなく
舅姑の身の安全や健康問題、食糧を含め生活用品の確保など
家族6人の「今」を守るために
気持ちを奮い立たせて頑張っていますが
昨日はとても悲しい事が幾つも重なって起き、
家族に隠れて、ついに泣いてしまいました。

そのうえ、震災の後に追い討ちをかけるような隣県の原発事故。
家族のために
心配してくれている友人知人、親戚のために
私がしっかりしなければ!と思う気持ちとは裏腹に
この先の明るい希望が一瞬見えなくなってしまった・・。
夫が「元気を出してもらおうと思って」と
どこかで調達してきたチョコレートに喜ぶ娘達の姿を見て
娘達の前ではめったに泣かない私が
涙が溢れ出て止まりませんでした。
「こんな時代に産んでしまってごめんね」
気がつくと繰り返し娘達に謝っていました。

「そんなこと、言っちゃダメだよ!」
高校生の娘が泣きながら母親である私を抱きしめてくれて
小学生の娘も涙目で私を見つめていました。
そこにいたのは
「子供たちの将来は今の私達より明るい」が信条だった私とは
まったく別人の私。
心配して連絡をくれる知人達に
「お陰さまで大丈夫です。ご心配をおかけしてすみません」と
気丈に答えようとする私とは、まったく別人の私でした。

1分間くらい泣いてしまったかもしれません。
その後、ある友人がくれたメールの言葉を思い出しました。
「井上さんと井上さんの家族には、生きる使命、運命がある。
自分の命の力強さを信じて、乗り切って下さい」
私や娘達には生きる使命がある。
その言葉を何度も何度も、心の中で繰り返しているうちに
一瞬失われていた明るい光が
またほんのりと見えてくるような気がしました。
生きる使命。
それを貫くために、とりあえず、今日、この日を
力を振り絞って、自分に与えられた役目を務めて生きよう。

私達被災者は
心配してくれる知人達には「大丈夫です」と答えます。
でもその奥には、必ず「大丈夫じゃない気持ち」があります。
それを皆、必死に隠して毎日頑張っている。
「今より明るい筈の近い将来」を無理にでも信じて生き抜いています。
みんな、ギリギリのところで頑張っているのかもしれません。
苦しんでいるのは私達だけではないでしょう。
国内外問わず、
被災地の様子を見守るしかなく、何もできない自分に憤っている人、
他人事に思えず心が折れそうな人もいるでしょう。
でも、どんなに弱っていても、光が見えなくなっていても
私達人間には生きる使命がある。
生きる力が残されている。
どんな状況になっても、子供たちには生きる力強さがある。
それを信じて、私は多くの人々と共に
今を乗り越えていきたいと思います。

「苦難は天が与えたもうた試練である」
でも、被災地にいる私達も、他の場所にいて心を砕いている人達も
今回の地震では試練と呼ぶには充分すぎるほど
大きな傷を背負いました。
これ以上、状況が悪くならない事を、心から願っています。

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2011年3月14日 (月)

何とか無事です。

11日に起きた
東日本大震災でご心配をおかけしておりますが
お陰さまで、井上は無事です。
家族6人にも怪我は無く、住居内の状況も良好です。

まだガスや一部地域で水道などは復旧しておらず
日用品や食品、灯油、ガソリンも調達できない状況です。
今日になって、ようやく電気とネット回線が復旧。
昨日までは電話もメールもすることができず
情報が遮断されていました。

友人知人を含め、
地震発生以降、沢山の方々からメールを頂きましたが
大変申し訳ないのですが
現在はやらねばならない事が山積みで
全ての方にお返事をさせて頂く事ができません。
メールを下さった方、お返事はもうしばらくご勘弁ください。
ブログの更新もしばらくできないと思いますが
落ち着きましたら
また状況を報告させて頂きます。

改めまして
皆さん、ご心配をおかけして申し訳ありません。
そして温かいお気持ちを下さり、ありがとうございます。

こうして無事をご報告できることは嬉しい事ですが
反面、今もまだ連絡がつかない人達もいて
自分たちが恵まれた状況下にいることを
手放しで喜ぶ事ができません。
私は今回の地震が憎くてたまりません。

数日のうちには、M6を超える強い揺れが来るとのこと。
皆さん、どうか、お気をつけください。

取り急ぎ、お礼とご報告まで。

井上きみどり

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2011年3月 7日 (月)

またまたお休みします。

0_3
春だから・・・ということも少しあるのですが
何だかこのところ
毎日忙しくって仕方がありません。


さすがにバタバタな連日に焦り
家族に「今週はロクな夕飯が作れません。ゴメンなさい」と
先に謝っちゃいました(苦笑)
「いいよ、いいよ」
「気にしないで仕事して」と皆励ましてくれたけれど
できないことが重なると
自分の気持ちがね・・・・しぼむんですよね。


で、皆さんにも謝らせて下さい。
「そんなわけで今週はブログの更新ができません。
ゴメンなさい!」


告知したい事はあるし
ご紹介したい本もあるのだけれど
それは来週までお待ちを。
とりあえず今のこの状況を何とかしたら
元気にブログに戻って来ますので
どうぞご勘弁下さいませ。


予定では来週半ばには何とかなっているはず。
(てか、何とかしなきゃならない!)
いつも自分に言い聞かせている事だけど
焦らず一歩ずつ前に進んで頑張ります。


ではまた来週、
このブログでお目にかかりましょう。



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2011年3月 1日 (火)

今日はこの2つの掲載日。

0
今日は連載漫画「オンナの病気をお話ししましょ。」が掲載されている
集英社YOUの発売日。
今回の「オンナの病気」はパニック障害です。
最近増えている、この病気。
もし自分がなったら?
もし身の回りの人がなったら?
自分の子供がなったら?
ちょっと想像しただけでも「人ごとではないなあ」と思い知らされます。

そんな病気を8年もの間、闘病を続けているご本人と
その方のお母さんに
2回に渡りお目にかかって取材をさせて頂きました。
後編の今回は、病気を家族で受け止め
回復への道を、それぞれが戸惑いながら歩かれた
家族の軌跡を描かせてもらいました。
どんな病気にせよ、
病気で苦しむのは本人だけではない。
そんなことを感じて頂ければ・・・と思っています。

Kahoku31

もう一つ。
今日は新聞に週刊連載しているイラスト&コラム、
週刊きみどり」が河北新報に掲載されています。
今週のお題は「『無理』はもう無理。」

・・・なんて書いていながら
わ、わかっちゃいるんだけれど
やんどころ無い事情で、また週明けに徹夜してしまいました・・・。
昨日は、そのまま寝ないで新幹線に乗って東京へ。
午前中はさすがに眠かったものの
ある地点を過ぎてから、やたら元気になりまして
「なんだ、まだイケるじゃん」などと調子に乗ってしまいました(笑)
これがいけないんだなあ・・・きっと・・・。

最近は友人へのメールの末尾に「体に気をつけてね」
「あまり無理しないでね」と書いて出すと
「井上に言われても説得力がない」
「あなたが気をつけなさい!」と返って来ます。
アタタタ・・・・・。(耳が痛い)
喉元過ぎれば何とやらってのをねえ。
何とかしなきゃなりませんね。
ハイ・・・・。

Bnr_onnanobyouki

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