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2011年4月30日 (土)

気仙沼取材。

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取材のため
気仙沼へ向かってます。
ナビと
娘1号が書いてくれたメッセージが頼り。
長い一日になりそうだけど
頑張ろう。

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2011年4月28日 (木)

ミーティング→授業参観→さよならディナー。

今日は午前中にボランティアワーク「救急箱」の
仙台ボランティアスタッフミーティングをしました。
「私達がやらなければならないこと」「やりたいこと」「できること」の
広がりが見える素敵な時間でした。


その後は娘2号の授業参観へ。
そしてPTA総会、学年懇談会、学級懇談会という
母親業のフルコースを、久しぶりにたっぷりと味わいました。


そして夜はこれから、大好きな人とのさよならディナーです。
彼女が好きだった料理をたっぷり作って
笑顔で送り出してあげようと思っています。
でも・・・・無理かな。
たぶん、大泣きしちゃうでしょう・・・。
この春は別れが多すぎて、すっかり泣き虫になってしまいました。

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それでも街の木々は青葉が開き始め、とっても元気です。
数日前はまだちょっとしか芽吹いていなかったのに、この生命力ってすごい・・・。
(25日に写真を撮った所と同じ場所です)


このGWはたくさん緑を見よう。
いっぱい青空を見よう。


いろいろあったけれど、ようやく元気が出てきたような気がします。

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2011年4月27日 (水)

29階の取材。

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今日は避難所の女性の生活向上のために活動なさっている
特定非営利活動法人「イコールネット仙台」さんの取材のため
エルソーラ仙台へお邪魔しました。
仙台駅近くのビルの29階から望んだ今日の仙台市内は
すばらしく美しかったです・・・・。

さらに美しく、強い街に復興しますように。
今はそう願うばかりです。





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2011年4月26日 (火)

2誌の取材。

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仙台市民なら皆知っているタウン情報誌「S-style」は
写真も構成もいつも素敵で、私も個人的によくお世話になっているタウン誌です。
そのS-styleの4月25日発売号の特集ページに
私のボランティアワーク「からだとこころの救急箱」を取り上げてもらっています。
記事はこちらでちらりと紹介させてもらっています。


これでさらに、いろんな方々にブログを見て頂き、
メール医療相談や電話相談の存在を知って頂く機会になると嬉しいです。


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そして今日は
東京から「LEE」の取材で編集さんとカメラマンさんが
仙台の井上の自宅までいらっしゃいました。
(最新号見本誌と付録を頂きました)
こちらのお話は、主に非被災地の方を対象とした内容でした。
うまくお伝えできたかどうか、わからないけれど
全国の女性が今抱いている、
被災地に住む女性達に対する感心を維持するために
少しばかりお役に立てたら良いな・・・。


取材して下さった方々、ありがとうございました。


とりあえず、今日の「受ける側の」取材は終わったし
明日の「する側の」取材のためにも
昨日から引いてる風邪を治すべく、
今夜はゆっくりと休むことにします。



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2011年4月25日 (月)

傾聴見学。

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今日は避難所で傾聴ボランティアをしている団体「仙台傾聴の会」さんを
取材させてもらいました。
実際に避難所で活動なさっている様子を付いてまわらせてもらって見学し
その後、代表の方にいろいろとお話をお聞きしました。
傾聴って本当にシンプルな心のケア方法ですが、それだけに奥が深い・・・。
どの団体の、どなたに取材させてもらっても
その度に学ぶことが山盛りあるのですが
今回も勉強させてもらって、脳みそも心もパンパンです。

パンパンのまま、反芻しながら自宅へ帰る途中、
並木道を走行していると青葉がチラホラと出ていることに気づきました。
そうか・・・もう5月になるんですよね・・・・。
そして帰宅途中、今日から運行を再開した
東京行きの新幹線が走行しているのを目にした瞬間
何だか複雑な感じがしました。
あれだけ頻繁に、まるでバスのような感覚で利用していた新幹線が
今は遠い別世界の乗り物に見えてしまいます。
相変わらず私の気持ちの一部分は3月中旬で止まっているけれど
仕事だけではなく、自分の気持ちも
少しずつ動き出さなきゃならないんだなあ・・・。

そんなことを考えながら
パンパンに膨らんだ脳みそと気持ちを抱えて
自宅に辿り着いた今日の私でした。

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2011年4月23日 (土)

隣県福島。

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昨日の新潟取材から仙台に戻る途中、福島を通過しました。
「地震の影響で道路状態が悪いため、速度を落として走行します」と
乗車した高速バスのアナウンスがあった通り、
高速道路は復旧工事で修復されたとはいえボコボコしていて
バスは福島近辺で大きくバウンドしました。


窓から見える福島は
私が住んでいる仙台と同じく
屋根にブルーシートを被せた民家が目立っていました。
同じような風景に
隣の県なんだな・・・・と思うとともに
「隣の県」と、線引きしてしまうことの複雑な思いも・・・。


今、私達は福島のあらゆる状況が落ち着くことを
祈りながら見守るしかできません。
だけど、隣の県に住む住人として、決して人ごとに考えられない。
その思いを抱きながら、私達にできる「何か」がでてくるまで
隣人を見守り続けたいと思っています・・・。


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2011年4月22日 (金)

越後湯沢から仙台へ

越後湯沢から仙台へ
越後湯沢の取材すべて終了。
これから仙台に戻ります。
素敵なお話を山のように聞けたし
8時間の移動、頑張るぞー。

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2011年4月21日 (木)

新潟の越後湯沢へ。

新潟の越後湯沢へ。
今日の取材のため
新潟県の越後湯沢に向かっています。


東北新幹線が復旧工事中で
まだ運休しているので
仙台から新潟駅までは高速バス、
その先は新幹線と在来線を乗り継ぐ予定。
うまく接続できたら7時間半の旅。
取材が決まった時は
自分で車を運転して行くつもりだったけど
心配性の家族の反対により
断念しました。
残念…。


だけど
久しぶりの遠方取材のせいか
柄にもなく少し緊張してます。
移動も取材も
すべて無事に進行しますように…。

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2011年4月20日 (水)

宮城県亘理(わたり)町の小学校へ。

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急遽決まった集英社のレポート漫画の取材のために
今日は福島県の県境から約17キロの所にある
亘理(わたり)町の町立吉田小学校へ行ってきました。
この小学校は避難所になっており
約300人の方がここで避難生活をしています。

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取材させてもらったのは
仙台を拠点に学習ボランティア活動をしている、
「NPOアスイク」さん。
この避難所で生活している小学生約60人の中から
希望する子供たちに、大学生、大学院生らが無償で勉強を教えています。
この日は皆さんの住空間になっている体育館の一角に
机を置いて勉強しました。

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机が足りないから、消毒アルコールセット置き場になっている机でも、お勉強。

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段ボール箱をひっくり返した、簡易机でも楽しそうにお勉強。

びっくりするくらい、元気で明るい子供たちの口からは、普通に
「私の○○、津波で流されちゃったんだ」という言葉が出て来ます。
あっけらかんと見える、子供たちの表情から
子供たちに不安を与えないように頑張っていらっしゃる、
親御さん達の懸命な努力を感じました。

アスイクさん、学習ボランティアの皆さん、ありがとうございました。
そして可愛いシールをくれた小3のRちゃん
ありがとう♪


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2011年4月18日 (月)

仙台の桜。

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昨日の日曜日、
「たまには奇麗な景色を見に行こう!」と
家族4人で「一目千本桜」と呼ばれる宮城県の桜の名所、
柴田郡大河原町に行ってきました。
数日前から急に暖かくなった宮城県。
桜は五分咲きでしたが、
雪を蓄えた蔵王連峰を背景にした
「一目で千本の桜を見たほどの絶景」と称される風景は本当に美しかったです。



震災後、始めての家族4人の遠出。
今年の春休みは震災のおかげで
どこにも行けなかった長い春休みだったので
(高校生の娘1号は、いまだに春休み中)
私にとっても、娘達にとっても、良い気分転換になったようです。

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こんな桜並木を
ゆったりと桜を見ながら散歩して自宅に戻ると
読者の方々から頂いたお手紙が転送されて来ていました。



その中に、仙台市で被災された後
ご友人のお宅、避難所と転々とされた末、
遠方のご実家に避難された方からのお手紙が。
今回の地震は「自分の体が傷ついたように痛い」と書かれていました。
そして「今、私ができる事って何でしょうか?」という言葉も。
「とりあえず、生き延びるということでしょうか?
それさえ、よくわかりません。
とりあえず生きるということだけで、今はいっぱいいっぱいです」
拝読していて、人ごとではない気持ちになりました。



「自分ができることは何?」という問いかけは
恐らく性別、年齢、国籍問わず
今の日本にいる誰しもが自分に向けてしていることでしょう。
「被災地の人々に私ができることは?」
「被災地に住んでいるけれど、被害が少なかった私にできることは?」
そしてグルグルと考え、悩んでも
結局何も思いつかなかったり、
条件が合わず行動に移すことを諦めなければならず
「自分は何もできない」と自分自身を責めてしまう人も多いと思います。
私の周りでも、そのような声をよく聞くし
情報発信ブログを運営したり、
傍目では、いろいろやっているように見える私だって
毎日が「一体何ができるんだ?」という自問の繰り返しです。



でも、それで良いのだと思います。
小さなことしかできなくても、
何もできず、何ができるかわからないままでも
とりあえず、生き延びることが一番大切なのだと。
今は自分の体と心を労って、家族を労って、
そしていつか自分の生活の色々な事が整い
不安無く生活できるようになり
気持ちに余裕が出てきた、その時に
もう一度考えてみて欲しいと思うのです。
「自分に今、何ができるの?」と。



たとえ、それで最後まで何もできなくても
それでも良いと私は思います。
自分の人生を立て直すことができたら、それだけで
自分の周りの人々を支えたことになる。
何人の人を救ったか、
どれだけの金額を寄付したかという
数字に表されるような問題ではないはずです。
それよりも
「何かをやろう」「したい」と願う気持ちを抱き続けることが
自分の将来や、家族のこれからの人生、
そして今後の世の中にとって
とても意味があることだと、私は思うのです。
今できなくても
きっと出来る時がやってくる。
「何かしたいのに、何もできない」と悩んでいる時は
いつかやってくる、その時のために
体と心のパワーを蓄えている大切な時期なのかもしれませんよね・・・。


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お手紙を下さったNさん。
Nさんが「見たい」と切望されていた「仙台の桜」は
今年も変わらず、こんなに美しく咲いています。
いつかNさんの心の中が、この桜の花々のように穏やかになったら
大好きな仙台に戻って来て下さいね。
これから花が散って葉を付けて、もしかしたら葉が散る季節になったとしても
仙台の桜の木がなくなることはありませんから。




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2011年4月15日 (金)

今度こそ最終回。

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2週間前にフライングして間違えてお伝えしましたが・・・・

本日発売の集英社「YOU」
井上の連載漫画「オンナの病気をお話ししましょ。」の最終回が載ってます。
栄えある(?)最終回は、子宮体がん体験談の後編。
子宮体がんを夫婦二人で闘った体験談を
夫からの視点で描いてみました。
女性の病気は、ただ単に病気になった女性だけの問題ではありません。
家庭の問題でもあり、パートナーの生活や将来に大きく影響するもの。
今回取材させてもらったミドリさんご夫婦は
お二人が足並みを揃えて、子宮体がんと闘われました。
こんな夫婦が増えたらいいな・・・・。
そんなことを思いながら描かせて頂きました。

2週間前のフライング記事にも書きましたが
この原稿のネームをしている時に今回の地震が起こったという、
私にとっては忘れられない仕事です。
皆さん、よろしかったらどうぞ読んでやって下さい。

同じく、本日発売の竹書房「すくすくパラダイス」でも
連載中の「孫育!」が載ってます。
今回は是非、多くのお母さん達に読んで頂きたい内容なので
この連載については、また後日改めてお知らせさせてもらいますね。

で、「オンナの病気を〜」は今回で終了。
7月からは、子供の病気と「しょうがい」をテーマにした
新連載がスタートする予定です。
集英社YOUでは、その前に
2回の読み切り漫画を掲載予定。
来週から頑張って取材して来ます。

「自分ができることをやろう」の姿勢が必要なのは
公私変わらないんだなあ・・・と実感するこの頃。
先が見えない世の中だからこそ、
どんな小さなことでも、今、自分ができることをやろう。
今日もその言葉を忘れず、頑張ります。


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「自分のできることを」の姿勢で本日もブログ「救急箱」アップ。
こちらもどうぞご覧下さい。

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2011年4月13日 (水)

自問。


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抜けるような青空。
広々とした大地。


でも、積み上げられた小さく見える物体はすべて
流された車です。


通い慣れた仙台空港への道。
何百メートルにも連なる廃棄車両の山に
愕然としながら車を走らせていた私は
道路の両端に積まれた数えきれない台数の車や瓦礫から
「お前に何ができるんだ」と責められている気になりました。


私に何ができるというんだろう?
私が今やっていることは、意味があることなの?

無力感に押しつぶされそうになりながら
それでも何かしなければ・・・と葛藤する自分。
私ができることは、取るに足らない小さなことだと思う。
些細なことかもしれないけれど
大きな結果なんて出ないかもしれないけれど
とにかく前に進もう。

昨日も今日も、そしてきっと明日も
私の自問の日が続きます。




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2011年4月11日 (月)

1カ月。

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今日で震災後1カ月。
あれからの毎日は
嬉しいことと、悲しいことが数時間ごとに起こる
めまぐるしい日々で
こんなに一日一日を長く感じたことはありませんでした。
なのに、1カ月という単位が過ぎた今は
なぜか時間の経過の早さを感じています。

昨夜は1カ月を前にして
気持ちの区切りを付けるために
家族と1カ月ディナーをしました。
1カ月前の、あの夜と同じ災害用ロウソクを灯し、
亡くなった方々を想い、黙祷。
「これからまた頑張ろうね」という娘1号の言葉に
皆が無言で頷きました。

「ここ20年以内に80%以上の確率で起こる」と
数年前から言われていた宮城県沖地震。
想定されていた死亡者数は100人でした。
地震発生直後に娘を引き取るために小学校へ駆け込み、
舅姑の安否を確認するため、彼らの家に走る途中
周辺の家の外壁やブロック塀が崩れ、
あちこちで漏れたガスの臭いが漂っていたことは確認しましたが
複数のプレートに連動し規模が大きくなったとはいえ
これほどの被害者が出たことを
ネットも携帯も機能せず、情報源がラジオしか無かったあの夜、
私達は想像もしていませんでした。

2日後、〆切間近の仕事の連絡をするため
通じる公衆電話を探しまわり、
やっと探し当てた公衆電話の向かいにある
娘が通う小学校の体育館が
避難した近隣住人で満杯になっていた光景を見た時
初めて「異常事態」を実感しました。
そしてその体育館で配られていた
8面だけの新聞に大きく掲載されていた仙台市内の写真。
燃え上がる石油コンビナート、津波で流された街。
数分間、「これはどこの写真?」と呆然としました。
そして震災から4日後の夜
突然電気が復旧し、急いで付けたTVニュースで
見慣れた街が津波に飲み込まれて行く動画を目の当たりにして
ようやく自分達の置かれた状況が把握できたのです。
「電気がついた!」と喜んだ数分後に知らされた過酷な現実に
家族全員、言葉も無く涙にくれました。
当てどころの無い、怒りを感じました。

それから2週間目までは
毎朝、目が覚めると涙が溢れていました。
ベッドの中で、一人で思い切り泣いて、悲しんで、
そして起きてキッチンの冷蔵庫の前に行く。
冷蔵庫のドアには
パートナーになっている「国境なき医師団」から
ずいぶん前に送られた
名も知らぬ笑顔の少年の写真が貼ってあります。

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「おはよう。私も、今日も笑顔で頑張るよ」
そう心の中で呟いて
無理にでも笑ってみると、少し気持ちが上がっていきます。
1カ月たった今でも
それが私の毎朝の習慣になっています。

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1カ月間、私を支えてくれた笑顔。
支え、応援してくれるには言葉は要らないことを彼は教えてくれました。

震災後、気持ちを共にしてくれた大切な友人、知人、
そして読者の皆さん、
私の大好きな人、
1カ月間ありがとう。
私の仕事であり、「私ができる唯一のこと」は
書くこと、そしてそれを皆さんに伝えることです。
そのことを忘れず、
これからも、思わず足を止めたくなることはあったとしても
しっかりと前を向いていたいと思います。

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2011年4月 8日 (金)

昨夜の震度6強の余震。

昨日深夜、とても大きな余震がありました。

「『余震』って・・・・・
これ、立派な大地震だよね」と何かに怒るように言った娘1号。
「11日の地震より恐かった」と娘2号。

娘2号は本震を小学校の授業中に経験。
その時の様子を
「最初にドーンって音がして、体がフワッと浮いた」と言っていましたが
昨日の地震は、そんな状況よりも恐かったとのこと。
今回はしっかりと抱きとめてやれたので
すぐに気持ちが安定した様子でしたが、
こんなに大きな地震はもう、これで最後であって欲しいものです。



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2011年4月 7日 (木)

仮設トイレと簡易トイレ体験記。

地震後の地盤沈下により
我がマンションの下水管がペシャンコに潰れてしまってから
約3週間。
(くわしくはこの日の日記をご覧下さい)

井上一家は今日も元気に仮設トイレ生活を送っています。

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これがマンション住人のための専用仮設トイレ。
全然可愛くありません(笑)
しかし作りはきっちりとしていて、夜にはちゃんと灯りがつきます。

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中もまったく可愛くありません(再笑)

ブログ「 からだとこころの救急箱」(2011年9月終了)で
無料メール相談の相談員としてご協力頂いている、
泌尿器科医の吉川羊子先生
今回のご縁があってから
毎日のように排泄ネタのメールをやり取りさせてもらっているのですが(笑)
吉川先生は災害時の仮設トイレの研究発表もされている方。
先生の研究によると、
トイレの外装はそのままでも
中を奇麗な色でペインティングする、絵を描くなど
仮設トイレの内装を華やかにするだけで
随分と使う人の精神状態が違ってくるとか。
仮設トイレの中に動物の絵を描いたら
仮設トイレを嫌がっていた子どもが、喜んで行くようになったという
ケースも報告されていました。

そう言われれば、その通り。
何もこういうグレーじゃなくてもいいのでは?と思います。

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一日に何度も何人もが使う仮設トイレを
「少しでも快適に!」という思いは、共通のようで
仮設トイレ設置数日後に
どなたかがこんなアロマを置かれていました。
これがとっても爽やかな香りで、
用を足す前にドアを開ける時のドキドキ感が
かなり緩和されて助かりました。

しかし。
屋外にある仮設トイレは寒い(仙台ですから)。
そして深夜や早朝(我が家は皆5時半に起きます・・)に
「ねえ、トイレに行きたいんだけど一緒に行ってよ〜」という
治安を考えての「連れ仮設ショ●」はどうにもつらい。

・・・という時には、コレ。簡易トイレを利用していました。

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関西出身にして東京都を本籍地とする私は
避難グッズの備蓄はバッチリ。
簡易トイレも2種類を保管していました。
これが1種類目の簡易トイレセット。こんな箱に入ってます。

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箱の中のセット内容はこんな感じ。
これは既存の便器にカパッと乗せて使用するタイプです。
その上に汚物処理袋→吸収シート→排泄→凝固剤の順でセットします。

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凝固剤の名前は「キキ・イッパツ」(笑)
この非常時にも笑いを忘れないセンスに感服。

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「1回のセットで4〜5回使用できる」と書いてあります。
確かにできましたが、
上記の凝固剤の色と、水分吸収後の盛り上がり方が
ビミョーに生々しく(この部分、お察し下さい)
3回目くらいの使用者は、トイレを開けるとギョッとします・・・。
そんな視覚的な問題なんて、言ってられない状況ではあるのですが。
この凝固剤の見た目、
もうちょっと爽やかなものにならないのでしょうか、吉川先生?

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もう一つの簡易トイレは、本当に簡易。
その名も「みにまるちゃん」。

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ハイ、おまるです。
小さいです。
(横っちょの手は小学生の娘2号の手です)

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凝固剤も小さい!
これにめがけて、用を足すのがコツ。
もし外してしまったら、あとで容器を揺らしながら
液体(お察し下さい)を凝固剤に染み込ませなければなりません。

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この小さすぎる簡易トイレの利点は
「スカートの中に入れこんで、ひっそりと用をたせる」
「音がたたない」
「うつぶせに寝たまま用をたせる」・・・とのこと。


それなら、乳幼児用のプラスチックのおまるに
オムツを敷いて使用してはどうなんでしょうか、吉川先生?
(吸収機能が足りなければ、その上から凝固剤をかけるとか)


確かに音は出ませんが
体から離して用をたすと、エラいことになりかねないので
ぺったりと座り込むか、体に密着させるため
手で持っていなければなりません。
なかなか便利なものではありますが、
トイレって、排泄した物が落ちて行く時の程よい距離感が
大切なんだなあ・・・・・と実感しました。


で。
3週間の仮設トイレ生活を強いられていた私でしたが、
昨日ようやく下水管工事が終了。
やっと自宅のトイレが使えるようになりました!
昨日はトイレ解禁後、娘2号が
「偉大なる一歩、いや、ひと用足しを誰がするか?」と発言したことから
在宅していた女子全員がビビってしまい、
せっかくの自宅トイレをしばらく使えませんでした。
一夜明けた今朝も
「家のトイレ、使っていいんだよね?」
「流してもいいんだよね?」と
娘達はドキドキしながら、いちいち確認しに来ます。


トイレが普通に使える幸せ。


このブログを読んでいらっしゃる皆さんが
チラリとでも、そんなこともあるのか〜と思って頂けると嬉しいです。

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2011年4月 4日 (月)

本業とボランティアワーク

昨日の深夜、
ようやく引き延ばしに引き延ばしてもらっていた、
3月下旬〆切の原稿を描き上げ、入稿しました。
これで〆切延長してもらっている
3月〆切の仕事はあと1つ。
「無期限で待ちますよ!」と(たぶん)冗談を言いつつ
忍耐強く待ってくれている仕事関係者に感謝です。

相変わらずソフトに〆切に追われながらも
ボランティアワークとして取り組ませてもらっている、ブログ
「震災にあった女性のための、からだとこころの救急箱」
(2011年9月終了)
昨日の読売新聞の全国版・朝刊に
取材して頂いた記事が掲載されました。
決して自慢するつもりはありませんが
「新聞に紹介されていた、この相談メール出してみたら?」と
被災地の女性同士でお話してもらえたら・・・と思い、
掲載された記事を、ここに転載させて頂きます。

Yomiuriblog43
尚、「相談件数1万件」ではなく
「アクセス数が(最多で)1日1万件」です。
 

活動内容を分かり易くお伝えするために
「ボランティアワーク」と平たい表現を使っていますが
正直言って、私は
「自分はどなたかを助けることができる」と
思ってこの活動をしているわけではありません。
今は、同じ女性として、私自身が
何かさせてもらわないと気が済まないのです。
それが自己満足であることは自覚していますが
私にできることがあれば、やらせてもらう。
それだけです。
23日に立ち上げたばかりで、まだまだこれから。
3月〆切の仕事を終了したら
私もできるだけ現場に足を運ぶつもりです。

ただ、私一人の力ではどうにもなりません。
NPO団体の方や専門家の皆さん、
医師の皆さんにご協力を頂きながら、
そして皆さんのお力をお借りしながら
これからも皆さんと共に
自分のできる活動をしていきたいと考えています。

ご賛同頂ける方が増えていくといいな・・・。
どうぞよろしくお願い致します!

(取材してくれた読売新聞のSさん、ありがとうございました。
Sさんの女性としての熱い気持ちに、大変励まされました。)

*一部真意が伝わりにくい表現があったため、
書き直させて頂きました。

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2011年4月 3日 (日)

最終回でした。

4月1日発売の集英社YOU
連載漫画「オンナの病気をお話ししましょ。
子宮体がん・後編が載っています。
・・・いや、載っているはずです。
宮城県の自宅には、まだ掲載誌が送られて来ていないので
作者である私も確認できておりませんが・・・・・。

<UPDATE> 担当ヨシ子嬢より突っ込みがあり
4月1日発売号は私が休載した号で
子宮体がん後編の掲載は4月15日発売号とのこと。
大変失礼致しました・・・。



Onnnano41

3月11日、地震があった丁度その時は
連載漫画「オンナの病気をお話ししましょ。」の
子宮体がんの回・後編のネームを制作していたところでした。

あと数ページというところで地震が起き、
その後、家族5人を抱えて混乱の被災生活へ突入。
こんな風に、ロウソクの灯火で1コマずつ絵を埋めていきましたが
電気とネットの通信機能がストップしていたので
仕上げも入稿もできず、
結局、1回休載してしまいました。
漫画家になって初めての休載・・・・。
こんな状況だから仕方ないのでしょうが、複雑な思いでした。

予定では、あと1話で連載終了だったのですが
休載したため、この回が最終回になってしまいました。
この子宮体がんの後編は
私にとって忘れられない仕事となりそうです。

この「オンナの病気を〜」は
6月中旬に、1巻に続く2巻目の単行本として発売されます。
そして7月からは
子供の「病気」と「しょうがい」をテーマにした連載が始まります。
<UPDATE>またまた訂正。
単行本発売も新連載開始も7月だそうです。重ねて失礼しました・・・。

新聞で連載している週刊コラムは
新聞紙面削減のため、しばらく休載となりそうですが
単行本に収録する書き下ろし原稿や
新連載の準備などもしていかなければなりません。

こうして今後の本業について考えると
まだまだ被災生活中といえども
少しずつ、日常を取り戻していかなければならない時期が
やってきたことを実感します。
気持ちは到底追いついてこないけれど
ブログでのボランティア活動をしながら
今後の自分に向けて
ゆっくりと足を踏み出してみよう・・・・。

そう自分に言い聞かせている今日。
仙台の桜はまだつぼみも見えません。

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2011年4月 1日 (金)

ストーブ調理。

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東北地方では、北国仕様の強力灯油ヒーターなるものがあります。
震災以降は灯油を節約するため、
夫がどこかで調達してくれた、昔懐かしい「ストーブ」で暖をとっています。

電気が通っていなかった震災後3日間は
このストーブの天板の上に
買い置きしていた食パンやチーズを乗せて、焼いて食べました。
電気が復旧してからは、ホットプレートや
義父母から借りた卓上IHヒーターで調理していますが
電力節約のため、ストーブでも調理をします。
震災後、右脳をフル回転させて、いろんな料理を作りましたが
何と言っても調理には
まだ復旧していない、ガスコンロに勝るものは無し・・・。
余震があるたびに、ストーブを消して、鍋を撤去して
そしてまた、ストーブに鍋をかけてはグツグツ、グツグツ・・・。
余震さえ無ければ、ストーブ調理もほのぼのとした風景。
「ハイジみたいだね!」と娘達に笑いかけては
下がりかけたテンションを上げています。

さて。
被災地に住んでいる女性のために有益な情報を・・・と
急遽立ち上げた情報ブログ、
震災にあった女性のための、からだとこころの救急箱」。
病院に行きたくても行けない状況の被災地の女性達に
専門医のご厚意により
無料メール相談を受け付けています。

(2011年9月終了しました)


昨日までに、
中日新聞、河北新報、読売新聞から取材して頂きましたが
残念ながら、まだまだ本当に情報が欲しい方々のもとに
届いていない実感があります。
今、このブログを読んで下さっている皆さん、
からだとこころの救急箱」
東北方面に向けて広めてもらえませんか!?
被災地には、病院にも行けず、
自分の体や心のことは我慢して家族や周りの人々のために
無理を承知で頑張っていらっしゃる女性がたくさんいます。
同じ被災地に住んでいても、破損の少ない地域で
不便な生活とはいえ、自宅で生活できる状況にある私には
避難所での生活を余儀なくされている女性達の気持ちは
察するに余りあるものがあります。
同じ女性として、出来る事はうんと少ないでしょう。
でも、些細な事でも
自分ができる事をさせてもらいたい。
そんな気持ちを抱いて、毎日取り組ませて頂いています。
どうか皆さまのご協力をお願いします!!

*上記サイトとは2011年9月に終了しました。
沢山の方々のご協力に感謝してます。

 






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