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2011年5月30日 (月)

戻りたい場所。

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ここのところ、いろいろあって、悩みが多い毎日です。
私には、いろんなことがあると戻りたくなってしまう場所があります。
それはここ。
ここでの柔らかな思い出は
いつも私の心をジンワリと温めてくれるのです。

今回の震災以降、自分の中で
海への想いがガラリと変わってしまったのだけど
小さな頃から海のそばで育った私は
やっぱり何かあると、この海を見たくなってしまいます。

怖いけれど、優しい海。
矛盾してるな・・・・・・。

あの場所に戻りたいけれど
今戻ったら逃げることになる。
だからいつか堂々と戻ることができるまで
もう少し頑張ってみようと思っています。

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2011年5月23日 (月)

最後の運動会。

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先週末、娘2号の小学校最後の運動会が行われました。
体操服着用&リュックやレッスンバックなどの
軽装で登校する子ども達の中、
「最後の運動会だから、ランドセルで行く!」と
一人だけ体操服姿にランドセルというヘンテコな格好だった彼女。
最後の運動会でも
「やっぱり変わった子ねえ・・・」と言われたことでしょう。


そう、今年は「最後の○○」だらけの年。
6年間も続いた小学生活を
「最後」を一つ一つこなしながら
終わっていこうとする娘2号。
その調子で早く高校生くらいになって欲しい・・・!と
不出来な母である私は現実離れしたセリフを発しては
小6の娘に「焦りはキンモツ」と諭されています。


来年は「初めての○○」だらけの年になる我が家。
来年の今頃は、娘はどんな女の子になっているんだろう。
来年の今頃は、どんな世の中になっているんだろう。
私は、どんな作品を描いて、どんな取材をしているんだろう。
どれだけシミが増えているんだろう・・・・。


予測が立たないことばかりだけど
一つ一つ、こなしながら歩んでいく。
今までもこれからも、それが大切なんでしょうね。


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2011年5月19日 (木)

ここから始まること。

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6月1日発売の集英社YOUで始まる新連載
「ハート再生ワーカーズ」の取材のため
石巻市に行って来ました。
石巻市の象徴とされている石ノ森漫画館の方から
震災後の体験をお話してもらったり、
石巻にお住まいの方のお宅へお邪魔して
被災生活を語って頂いたり・・・。
被災地仙台の住人である私には、胸が痛く悲しいお話もありました。


今回、石巻に行く前に
「石巻市内は気仙沼や南三陸と違って
街並が残っているから街の再建が早い」と
聞いていましたが
確かに土地の区画などはハッキリと残っていて、
半壊の家が多い印象がありました。
しかし、残っているから「良かった」とは
簡単に言えるものではありません。
残っている物があるということは、反面で
こんなにも残酷なものなのかと
街をまわりながら、何度もため息をつきました。


でも、取材に答えて下さった方々のお話をお聞きして
石巻の街はここからまた新たに創られていくんだな・・という
期待にも似た感情を抱きました。
大きなものを失って、新たなものをゼロから創り出すには
途方も無い体力と気力が要ります。
いろいろな問題に直面するでしょうし
決して簡単なことではありません。
それでも、石巻は大きな変化を受けとめながら
これから少しずつ街を創りあげていくのでしょう・・・。


そして震災以降、生活面で変化が多かった私自身にも
今日、新たに大きな変化が訪れました。
頭の中で考え始めると不安ばかりで
足が止まってしまいそうだけど・・・・・
とにかく、動こう・・・・!
今、自分ができることをやろう。



震災後、電気がとまった暗闇の中で
何度も繰り返したその言葉を
もう一度自分の頭の中で繰り返しています。










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2011年5月11日 (水)

花が咲いたよ。

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5月というのに
まだ朝晩が冷える仙台。
気がつくと、去年の秋口に家族お揃いで買った、
ユ●クロのフリースパーカーを、みんなまだ着ていたりします。
私は綿のシャツ姿で頑張っているのですが
時々寒さに負けてカーデガンを着てしまうことも。


で、昨日、娘2号の部屋に掃除機をかけていると
毛糸に包まれた球体を発見。
確かこれは、地球儀好きな娘2号にどなたかがプレゼントしてくれた
ガラスの地球儀では・・・?
娘に聞いてみると
「寒そうだったから、カバーを編んであげたの」ということ。

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ビッチリと編み込んでいて、着脱不可能(笑)
地球儀に毛糸のパンツ・・・じゃなくて、カバーを装着する子供って
どれだけいるんだろう?
(これじゃ地球儀としての役目果たしてないし)
こんな世話焼き女房的ガーリーな趣味があると思えば
ベッドの横の壁に分子記号表貼って喜んでるし
「誕生日に何が欲しい?」と聞くと「太陽電池欲しい!」と即答するし
やっぱりこの人、変わってるなあ・・・と思うこの頃。

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そんな娘2号。
震災後1週間のショック状態だった時も
自ら心を癒すように、爆発的にいろんな物を作りまくっていました。
その時に制作していたこの芽ですが、2カ月経って・・・・

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花が咲いたようです・・・・!!


彼女を見ているとつくづく思います。
人間って、繊細で逞しくって興味深い生き物だなあ・・・・と。



こんな時代だけど
大人の私も負けずに興味深く生きよう。
そして彼女にとって、母であると同時に
興味深い大人で居続けたいと思っています。




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2011年5月 9日 (月)

いいなあー、「新・母子手帳」。

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博報堂の生活総研さんから
「新・母子手帳」をお送り頂きました。


「日本の母子手帳を変えよう」をテーマに
次世代の母子手帳のカタチを追求すること1年。
こんなに可愛い母子手帳が誕生したそうです。
いや、本当に可愛い・・・!
私の娘達の、昭和の臭いがしそうな母子手帳とは月とスッポンです。

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こんなに可愛い記録ページもあったりして。
「初めての胎動記念日」「ハイハイ記念日」などを記録するんですって。
私だったら「初めて怒った記念日」とか「初めて冗談言った記念日」とか書くかなあ。

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医師が書き込む、妊娠中の記録ページはほぼ従来通りのレイアウト。
親にも、医師にも使いやすい手帳を目指したとのこと。

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おっ?
「小学生以降編」がある。
そうなんですよね。
母子手帳って「赤ちゃん時代しか使わないんでしょ?」と思いきや、
小学生になっても病院で「母子手帳、持って来て下さい」なんて言われたりして
ホントに長〜い間、お世話になるんです。

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と思ってたら、なんと!
「中学生以降の健康の記録」なんてのもある・・・!
「15歳以降の健康記録」なんて3つも欄がありますよ、奥サン。
てことは18歳まで毎年の身長と体重が書き込めるってこと?
もうこれくらいになったら、自分で書いちゃったりして。
それもまた良いですよね。


この「新・母子手帳」は
(個人的には”親子手帳”という名称の方が嬉しいなと思いますが)
からだとこころの救急箱」でも取り上げさせて頂きました。
今年の4月から島根県の二つの町で使用開始されていて、
母子手帳を紛失した被災地にも無償提供するなど
大変に頑張っていらっしゃいます。
母子手帳って、どんな意に添わないデザインでも
否応無しに受け取るだけ・・・と思っていたけれど
その「母子手帳を変える」なんて、できたんだ・・・!と
嬉しい驚きを感じています。


考えてみたら、妊娠も出産も育児も
本来はとっても個人的なもので
もっと個々の「こうしたい」「こんなカタチがいい」という思いが
反映されても良いはず。
そのことを、この「新・母子手帳」は
私達に気づかせてくれているように思います。
妊娠出産だけではなく、生活全般について
今の時代に生きる私達は
人任せ、行政任せではなく
もっともっと「こうしたい」「こんな風に変えてみようよ」と言ってもいい。
そんな風に肩をポンッと叩かれたような気持ちになりました。


この手帳に成長記録を綴られた子供達が大きくなる頃には
どんな世の中になっているんでしょう。
今よりほんの少しでも
明るい世の中にしてあげたいな・・・・。
次世代を担う子供達へ明るい未来をプレゼントする。
それが私達大人の最大の使命なのかもしれません。


プレッシャーを感じるけど、やるしかない・・・。
うん、頑張りましょう。





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2011年5月 5日 (木)

たまにはお休みを。



今日はゴールデンウィーク最終日。
毎年インドア家族の我が家の面々は
ゴールデンウィークと言っても「どこか行きたい!」とは言いません。
どこに行っても混んでいるのは目に見えているので
近所を散歩したり、皆でご飯を食べに行くだけで満足してしまいます。



今年の春は震災以降、
仙台市内の飲食店や洋服店が長い間閉まっていたし
ショッピングを楽しむ気分にもなれませんでした。
今までずっと春夏物を買い物できないまま、気がついたらもう初夏が目の前。
さすがに「そろそろ買い物に行こうか」ということで
沿岸部にほど近い名取市にある大型ショッピングモールへ
家族総出で繰り出しました。



4月24日に営業再開したばかりのそのショッピングモールは
最上階全体の天井が地震で落下したため、最上階は閉鎖。
それでも皆さん、営業再開を待ち望んでいたのか
店内は開店からものすごい数の人でいっぱいでした。



久しぶりのショッピングを家族4人で楽しみ、
ゆったりとランチをして、クタクタになりながら帰路に。
車で広瀬川を渡ると、大きな鯉のぼりが「ししゃも」状態で
連なって泳いでいました(笑)




連休中は娘2号のリクエストに応えて
毎朝、広瀬川のジョギングコースでウォーキングしたり走ったりもしました。
ここのところ一人であちこちを飛び回って家族に心配をかけていましたが
少し家族サービスをして、挽回できたかな・・・。
明日からまた、忙しい日々が戻って来ますが
この3日間、家族サービスをしながらも
少しばかりのんびりできたので、また頑張れそうです。
明日からまた、主婦業と漫画家業とボランティア業の日々。
よし、頑張ろう・・・・。

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2011年5月 3日 (火)

憤りと希望。

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二日間の気仙沼取材から戻って来ました。

言葉を忘れるほどの凄まじい被害の状況を目の当たりにして
改めてこの震災に対する怒りを感じた二日間。
気仙沼から1時間半ほど車を走らせると
岩手県一ノ関市に辿り着きます。
仙台と気仙沼は同じ宮城県でありながら、
一ノ関を経由しなければ行き来ができません。
たった1時間半離れた隣県の一関では、水道や電気が使えるし、
飲食店もコンビニも通常に営業しています。
そのギャップに戸惑いながら、しばし休憩し
夜の東北自動車道で仙台にある自宅へ向いました。
岩手県から宮城県に入ったとたん、高速道路は地震による損傷で
道路のつなぎ目に高低差が出来ていて
何十回と大きくバウンドしながら走行しなければなりませんでした。

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3月11日の地震さえ起こらなければ
今頃は緑溢れる田園地帯だったはずのところが
広大な荒れ果てた湿地に・・・。
水道も電気も使えず、気仙沼の人々は今も耐えるしかない生活を強いられています。

だけど、そんな中でも
気仙沼の子供達は私達に希望を与えてくれるように思いました。
この二日間に感じた、相反する感情は
私のこれからの人生の糧になりそうな予感がします。

気仙沼へは、今後もまた何度も足を運ぶつもりです。



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2011年5月 1日 (日)

気仙沼本吉町。

気仙沼元吉町。
気仙沼二日目。
今日の取材は
ここから始まります。

今朝の気仙沼は小雨。
雨がひどくならない事を祈ってます。

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