2007年4月 3日 (火)

「籠の中の漫画家」

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07.2.27河北新報社「週刊きみどり」

ここ数ヶ月間、書き下ろし単行本2冊分を執筆するため
ずーっと自宅に閉じこもって仕事をしているので
季節の移り変わりはおろか
その日の気温さえわからない毎日を過ごしています。
たまに外に出るのは
河北新報社に締め切りギリギリの原稿を届けに行く時か
不足した食料品を買いに行く時だけ。
大体の食料品は個人宅配で届けてもらっているので
いまや籠の中の漫画家と化した私が
外界のスーパーに足を運ぶのは
一週間に一度あるかないかの大イベントとなっています。
そんな調子なので久し振りにスーパーに乗り込んで行っても
何がどこに置いてあるのかわかららない!
野菜や魚、肉などの生鮮食品はコの字に陳列されているので
順番に見て行けば目当ての物は見つけられるのですが
問題はコの字の内側に陳列されているであろう物の捜索。
「調味料」「菓子」など種類別に置かれていることはわかっていても
自分の頭の中の分類とスーパーの分類が一致せず
一度の買い物で必ず2つ3つは
スーパー中を右往左往して探す羽目になってしまうのです。
最近は諦めが早くなり
すぐに店員さんをつかまえて聞く事にしていますが
先日は何度も同じ店員さんに聞いてすっかり呆れさせてしまい
「他に何をお求めなんですか?」と
私が持参した買い物メモを手に
店員さんがもの凄い勢いで全て揃えてくれました。
小学生のおつかいの方がまだマシかもしれません。
「これからは意識して外に出なければ!」と反省し
その翌日は夫の代わりに学童へ娘を迎えに行くと
「どうして今日はお父さんじゃないの!?」
「お父さん、どうしたの!?」と
娘の友達と学童の先生達総出で驚かれてしまいました。
籠の中の漫画家、箱入り主婦の私が
外の世界へ出るのが大イベントなら
外界の人々にとっても
「珍しいものを見た」という気持ちなのでしょうか。
外に出る度にトホホ気分のこの頃です‥‥。

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2007年4月 2日 (月)

「我が家の小人君」

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07.2.20河北新報「週刊きみどり」

どの職業もそうなのでしょうが
漫画業界も年々IT化が進んでいます。
そこで先日、漫画家の端っこの端くれである私も
ついに20インチモニターのコンピューターを買いました。
今まではカラーイラストや漫画の仕上げを
14インチのパソコンでちまちまと作業していましたが
大きなモニターは効率が格段に違う!
サクサクと作業できるようになり
パソコン作業中の私の悪態もグンと少なくなりました。
インターネットのページが同時に2枚横並びで表示できるので
資料探しもはかどります。
面倒くさがり屋の私にとって久々の大ヒット家電。
もうこのパソコン無しでは仕事できない気にさえなっています。
え?「面倒くさがり屋のクセに
パソコンを買い替えるのはイヤではなかったのか?」
普通、パソコンを買うとなると家電店に行ったり
セットアップをしたり大変な労力を要するのでしょうが
私の場合はちょっと違って
「大きいモニターが欲しいよぅ」と一言つぶやくだけ。
あとは靴屋のおじいさんに代わって
夜中にトンテンカンと靴作りをする童話の小人君が
機種の検討からセッティング、
データの引っ越しまで全てやってくれるのです。
そのうえ3度目のパソコン買い換えである今回は
「仕事の合間に食べてね」と
パソコンの横にチョコまで置いてありました。
言うまでもなく、この小人君の正体は私の夫。
我が家の髭の生えた、あまり可愛い風体ではない小人君は
その他にもいろんな代行をしてくれます。
「コーヒーが飲みたいよぅ」と呟けば
2分後には熱々のコーヒーが出てきたり、
「掃除するの面倒だよぅ」と呟けば
10分後には部屋がキレイになっていたり。
働き者の小人君無しでは
甘やかされ主婦の私はもう生活できないような気がします。

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2007年3月30日 (金)

「良い時代になったものだ」

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07.2.13河北新報「週刊きみどり」

6年前、東京から仙台へ引っ越して来て
まず驚いたのが子供達の身長でした。
仙台の子供達は大きい!
東京の保育園では身長順に整列すると
真ん中辺りにいたはずの娘1号は見事に最前列へ。
この6年でジリジリと大きくなり
全国平均より数センチ高くなったというのに
仙台の友達の中ではまだまだ埋もれている彼女。
「もっと背が高くなりたい!」と毎日乳製品を摂ったり
背伸びしたりと「タッパのある女」を目指して躍起になっています。
そんな娘を見て「良い時代になったものだ」と一人ごちる母の私。
バッチリ松田聖子世代の私が中高生だった頃は
「ぶりっこ」という言葉が存在する、
可愛い女至上主義の世の中でした。
白いフリフリの服を着て内股で歩き
恥ずかしそうに上目づかいで男の子を見つめる。
当然身長が低くなければそんな芸当はできません。
身長165センチの私は
デカい自分をできるだけチンマリと見せようと
ペタ靴ばかり履いていた記憶があります。
そんな私に祖母が放った言葉は強烈でした。
「アンタみたいな背が高い女は
昔だったら一家の恥として顔に籠をかぶらされるところだったよ」
その一言で私の中の可愛い女願望は完全に無くなりました。
「背が高くて何が悪い!」
半ばヤケになった私はヒールのある靴を解禁。
自分の結婚式にも8センチヒールで挑み
身長175センチの夫とガッチリと肩を組んだ
奇妙なポーズで記念写真に納まっています。
少しずつ私に目線が追いつこうとしている娘は
「170センチ以上になりたい」と言っています。
彼女達の世代には、私の身長なんて高い部類には入っていない様子。
ホントに良い時代になったものだと大きな体でうなづいていると
「『高い』と『大きい』は違うのよ」と突っ込まれました。
縦も横も成長してしまった私が歓迎される世の中は
一体いつくるのでしょうか。

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2007年3月29日 (木)

「カメラ小僧親子、北国の動物園へ行く」

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07,1,16河北新報「週刊きみどり」

北海道の「旭山動物園」へ行ってきました。
表向きは動物好きの娘達のための、今回の家族旅行。
実は「ホッキョクグマのお尻をドアップで見てみたい!」という、
仕事に疲れた私の、大人げなくもピンポイントな目的だけで決行した
独りよがりな旅行でした。
飛行機、電車、バスを乗り継ぎ、仙台市内の自宅から4時間25分。
私たちの目の前には、水槽のガラス越しに
ホッキョクグマのでっかいお尻が!
しかも冬の北国のホッキョクグマは本領を発揮してアクティブ。
夏場の炎天下の動物園でグターッとした
ホッキョクグマしか見た事がなかった私は、
プールに何度も飛び込んだり、
ポリタンクをオモチャにして投げて遊ぶ
陽気なホッキョクグマの姿に興奮し、
夢中でカメラのシャッターを押し続けました。
気がつくと娘1号も自分の携帯を握り、
我を忘れてシャッターを押しています。
なにしろアクティブなクマ君。
なかなかファインダーにお行儀良く納まってはくれません。
結局、ホッキョクグマ2頭のために
親子で150枚くらいの写真を撮ってしまいました。
これに呆れたのは待ちくたびれた夫と娘2号。
「思い出にしたいなら、写真を撮るより、
自分の目で見た物を頭に残すべきだよ」と、
珍しく立派な事を言うではありませんか。
考えてみたら、私を含め、最近の親達は子供の運動会も発表会も、
記憶に残したい大切な場面を
カメラのファインダー越しに見ていることが多いように思います。
そうして大量に撮った写真は
引っ張りだして見る事はあまりないけれど、
頭の中にある映像は、いつでも思い出して
その時の感慨にふけることができます。
「自分の目でしっかりと見よう」反省し、
旭山動物園名物のペンギンの散歩を見に行き、
ペンギン達の愛嬌の良さにまたしても我を忘れて
カメラ小僧と化してしまった娘1号と私。
懲りない私たちの姿は、
待ちぼうけ組二人ののアイカメラにしっかりと
記憶されてしまったことでしょう。

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2007年3月28日 (水)

「偽おふくろの味」

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07.1.9河北新報「週刊きみどり」

新年早々、過去を振り返るのはどうかと思いますが、
この年末年始は私にとって、
ここ数年で一番幸せな年越しとなりました。
昨年までは4人家族で細々と迎えていた年越し。
しかし昨年春に仙台へ移住して来た夫の両親二人が加わっただけで、
それこそ盆暮れ正月が一度に来たような盛り上がりで、
冬生まれの娘達の誕生日を皮切りに
クリスマス、年越し、元旦とお祝い続きの数週間を
全員が体力勝負で乗り越えました。
おかげで三が日が過ぎると、義父母は疲れきり、
娘達も「胃が痛い」という始末。
そんなハードでガチンコな年越しでお祝いの膳を囲む度に
皆の口から何度も聞こえた言葉は
「皆が集まって食べると何でも美味しいね」。
イベントの度に賄いのオバさんと化していた私は
「おいおい、私の料理がまずいってこと?」と
ナノレベルの素早い突っ込みを入れながらも、
その言葉に誰よりも深く頷いていました。
中でも一番幸せだったのはクリスマスの膳。
お決まりの鶏足とブイヤベース、
玄米ピラフなどのメイン料理は私担当、
義母はサラダ担当の持ち寄りパーティーをしました。
そして義母が作ったポテトサラダを口に入れた時のこと。
「あれ?この味は、昔どこかで食べた懐かしい味‥‥」
塩揉みしたキュウリとりんごの細切れが入った
昔ながらのポテトサラダ。
義父は小学校の教師をしていた義母をからかって
「給食の味じゃないの?」と言いましたが、それとは違う気が。
よくよく思い出してみてハッとしました。
そのポテトサラダは娘が生まれた後、
初めて夫の実家へ帰省した時に義母が作ってくれた、
そのものの味だったのです。
私の実母は料理嫌いで毎日の食卓に冷凍食品ばかり出していたので
私には「おふくろの味」がありませんでした。
義理とは言え、義母と親子になって十数年。
いつの間にか義母の味がおふくろの味になっていたことを発見した
この幸せな年越しを、ポテトサラダを食べる度、
年越しを迎える度に私は思い出すことでしょう。



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2007年3月27日 (火)

「親って何なのでしょうねぇ‥‥」

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(イラスト原稿が無く新聞をスキャンしたので画像が荒くてスミマセン)
06.7.4河北新報「週刊きみどり」


暗い話で申し訳ないのですが、ちょっとした事情があり、
最近、自分の両親の姿に「親とはどうあるべきか?」と
考えさせられることがよくあります。
私の両親は、育った家庭の影響か、
子供に対する愛情表現が「おいおい、そりゃないでしょ?」と
突っ込みを入れたくなるほどヘタッピな人達です。
情けないことに、自分の子供や他人の気持ちをおもんぱかる才能など
宮城米5粒くらいの量。
幼い頃から両親は「親の気持ちを考えろ」
「親に歩み寄る努力をしろ」とは要求しても
悩みを抱えて、ふさいだ顔をしている小さな私や姉に
「なぜ落ち込んでいるのか?」と
娘を理解しようとする優しい言葉をかけてくれたことはありません。
心の中では娘のことを心配していたのかもしれませんし、
ぜひそうあってほしいと思うのですが
出てくる言葉は
「そんな暗い顔をされると家の中も暗くなる!」という逆ギレ文句。
まったく、わが親ながら、トホホな困った人たちです。
そんな両親に育てられた私も親になり、考えました。
歩み寄るべきなのは、子供ではなく、
まず親の方からではないかと。
気持ちを考え理解しようと努力するべきなのは
まず、親ではないかと。
子は親の背を見て育つと言います。
親に正面から歩み寄ってもらい、理解してもらった幸福な子供は
きっと自然に親に歩み寄り、親の気持ちを考えようとするはずです。
親が子供に求めるものは、親自身ができること、あるいは
努力しているものでなければ、子供に対してあまりにも説得力が無く、
人間としてぶさまなだけではないでしょうか。
両親は現在、他者への配慮に欠けるせいで
親戚間のいざこざに、ドップリはまっています。
それでも娘である私の忠告には聞く耳を持ってくれず、
悲しい思いをさせられるのみ。
なのに娘として、放っておけない親の存在って
ホントに一体、何なのでしょうね。

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2007年3月26日 (月)

「これは偶然?必然?」

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06.12.19河北新報「週刊きみどり」

「オーラの泉」という深夜の人気番組があります。
私は霊的な番組を好んで見る人間ではありませんが
興味があるゲストが出演した時などは時々見ることにしています。
その番組の中で定番になっているのが
スピリチュアルカウンセラー・江原啓之さんの
「この世の中に偶然は無い」という言葉。
身の回りに起こること全てが必然だとしたら
神様はなんとスケジュール管理がお上手なのでしょうか。
しかし、そんな猜疑心が強いひねくれ者の私の身の回りにも
「偶然」と呼ぶには手が込みすぎた現象があります。
私の誕生日は10月7日。
姉の誕生日は一ヶ月違いの11月7日で
二人とも自然分娩で生まれました。
「それくらいの偶然なら世の中にゴロゴロあるじゃないか」?
いえいえ、ここからが凄いのです。
私の誕生日は両親の結婚記念日で、姉の誕生日は祖父の命日。
この「偶然」は結婚してさらに拡大し
姉の姑の誕生日が3月7日、私の夫の誕生日が5月7日と、
家族の記念日が7日にえらく集中した人間になってしまいました。
そのうえ私と姑の卒業校が同じで
私の姑と実母の旧姓が同じという事を知った時は
さすがにひねくれ者の私でも
「夫と結婚したのは何かの因果だったのだろうか」と
考えてしまったほど。
それでも「この世は必然」という江原理論を
完全には認められない大情際の悪い私ですが
こんな私でも誕生の偶然に関して
必然的な神様の仕業と思わざるをえない事が一つだけあります。
牧師をしている私の叔父の娘達の名前は「聖子」と「愛子」。
姉妹の誕生日は12月24日と25日で
25日生まれの聖子は重度の脳性麻痺のため
成人した今も日常生活に介助が必要です。
幼い頃から思いやりがあって優しい叔父は私の憧れでした。
神様もそんな叔父を認めて聖子を託されたのだと確信しているのです。
神様の予測は大当たりして
聖子は今叔父のもとで幸せに暮らしています。

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2007年3月23日 (金)

「お尻の火が消えない私」

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(イラスト原稿が無く新聞をスキャンしたので画像が荒くてスミマセン)
06.11.14河北新報「週刊きみどり」


先日やっと免許の更新に行ってきました。
更新した日は免許証の期限切れ3日前。
更新できる期間は誕生日の前後1ヶ月なので
約2ヶ月かかって、ようやく重い腰をあげたことになります。
「一体いつになったら行くんだ?」と
胃をキリキリさせながら気をもんでいた心配性の我が夫。
更新日当日、朝早く免許センターへ向う私の姿を見て
「やっと行ってくれるのか!」と
むせび泣かんばかりの勢いで喜び
その後3日間は私の顔を見る度に
「おかげでグッスリ寝られる。ありがとう!」と
何度もしつこく感謝するありさまでした。
実は夫と一緒に暮らし始めた頃、
ズルズルと更新を怠ったがために
苦労して取った中型二輪免許を失効させてしまった前科がある私。
そのほかにも公共料金や通販の払込など、
先延ばしにして督促状が送られて来たことが
何十回あったかわかりません。
胸をはって言いますが、私は事務能力に欠ける人間です。
払込や手続きだけではなく、スケジュール能力も皆無。
だから子供たちの学校の行事や弁当日などは
気をつけていても5回に1回は、すっ飛ばしてしまいます。
さすがに長年の失敗に学習して
学校の集金や各種払込み、メールの返事など、
短期のうちにアクションを起こさなければならない
事務作業については、粗相をすることは、ほとんどなくなりました。
しかし免許証の更新のように長い猶予期間があると、まるでダメ。
「まだまだ日にちに余裕だあるから大丈夫よ〜」と
ふんぞり返っているうちに
いつの間にかお尻にボウボウと火が付き、
その熱さに気がついて初めて、焦り始めるのです。
ん?この現象は他の場面でも頻繁にあるような気が‥‥‥。
そうだ!原稿の締め切り!
どんなにスケジュールに余裕がある仕事でも
締め切り間際でお尻に火がつかないと重い腰を上げない私。
締め切りがあるこの仕事は、私に向いているのかどうか、
わからなくなってきました‥‥‥。

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2007年3月22日 (木)

「セレブ出張の収穫」

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06.10.24河北新報「週刊きみどり」

先日、取材で東京へ行った時のこと。
いつも自腹を切って木賃宿に宿泊する私をかわいそうに思ったのか
今回はある出版社が普段は泊まることができない、
高級ホテルを取ってくれました。
そこは客の半分以上が外国人で
英語と笑顔があちこちで飛び交うセレブな世界。
こうなりゃ無理を承知で自分もセレブになりきって
一泊二日のホテルライフを満喫するしかありません。
しかし庶民の私に思いつくのは
出版社持ちをいいことに、一杯千円のジュースを
ホテルのカフェに何回か飲みに行くという、せせこましい豪遊だけ。
もっとセレブな行動はないのか!?と
ディナー並みの料金の朝食ビュッフェへ行くと
通された席の隣のテーブルに
姿のままの松茸が5、6本ゴロゴロと置かれているではありませんか。
朝から松茸なんて、何者?と仰天し
チラチラと観察してみると
松茸の主は初老の男性と、大きなサングラスに奇抜な服を着た
白髪の女性。
ホテルの常連客らしく、
従業員たちと親しそうに松茸談議をしています。
しばらく知らぬフリをしていましたが
隣から聞こえてきた
「これ、ティッシュなんだよ」という女性の一言に
私の興味はついに爆発してしまいました。
「えっティッシュ!?どうやって作ったんですか!?」
見知らぬ女に突然話しかけられても、たじろぎもせず
ティッシュ松茸の作り方を実演付きで教えてくれた白髪の女性。
よく見るとかなり若い!
聞けば、ホテルの和食レストランの料理長に見せるために
札幌からティッシュ松茸をかごに乗せ、飛行機で来たとのこと。
飛行機のアテンダント達にも大ウケだったと
誇らしく語っていた彼女を
初老の男性は愛おしそうに見つめていました。
ティッシュ松茸を料理長に見せるためだけに
高級ホテルに4連泊するという、謎の関係の二人。
「金持ちが考えていることはわからん‥‥」
そう呟いて、庶民井上はスゴスゴとそのホテルを後にしたのでした。

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2007年3月20日 (火)

「じゃあ、やらなきゃいいじゃん」

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06.10.17河北新報「週刊きみどり」

最近は小学生でも塾に通っている子供が多いようで
娘たちから、ほとんどの友達が塾通いをしていると聞き
ビックリしました。
おかげで塾に行っていない我が家の娘たちは
すっかり少数派に分類され、
友達からも珍しがられているそう。
教育方針は家庭や子供の個性によって
さまざまな形があっても良いと思いますし、
学習方法も多様であるべきだと思います。
では、我が家の教育方針は?
それは「イヤなら、やらなきゃいいじゃん」。
子供が嫌そうに宿題をやっていたら「やらなきゃいいじゃん」
学校のテストが嫌だという愚痴を聞けば
「受けなきゃいいじゃん」。
宿題をやらなければ肩身の狭い思いをするでしょうし、
テストを受けなければ、
先生を納得させる言い訳をしなくてはなりません。
そうなると困るのは子供本人ですし
困って初めてわかることもあるはずです。
だから私はよほどのことがないと
子供の忘れ物に気がついても学校へ届けには行きません。
「困ればいいじゃん」の姿勢を守りながら
本当はすぐにでも持って行ってやりたい気持ちを抑え、
しょげて帰ってくるであろう子供にかけてやる言葉を選びつつ
ジリジリと待つことにしているのです。
そんな谷底に突き落とす母ライオンのような私に育てられた娘1号は
何度も痛い目にあった挙げ句、親をあてにせず、
帰宅すると真っ先に明日の持ち物の用意と宿題にとりかかる
真面目人間に成長してくれました。
ああ、私の教育方針は間違っていなかった‥‥!
ところが先日、
彼女が担任の先生に、こう言ったというではありませんか。
「私の母は、何かあると『やらなきゃいいじゃん』
『やめたらいいじゃん』と言いますが
母の言う通りにしていたら、とんでもない人間になりそうです」
先生!それは逆説的なしつけなんですよ〜っ!
子供を思って谷底に突き落としたはずが
谷底から這い上がって来た子供に
突き落とされてしまった母ライオンの私。
母ライオンは無事に這い上がることができるのでしょうか。

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2007年3月19日 (月)

「毒舌悪態ドライバーにご用心」

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06.10.10河北新報「週刊きみどり」

女性は車を運転すると人格が変わる人が多いそうですが
実は私もハンドルを握るや毒舌家に変貌します。
いえ、私の場合は社会生活を円滑にするため
普段は自分を穏やかに装って見せているだけなので
「隠した本性が出る」と言った方が正しいのかもしれません。
なにしろ車の中は密閉された空間。
どんな悪い言葉を吐いても外には聞こえないので
運転中は言いたい放題の悪態天国です。
「ウィンカー出せよ!」
「そこで止まんな!」
右折にもたついている車に
「とっとと行けよ!」と舌打ちまでする姿は
決して他人様には見せられたものではありません。
特に私の自宅近辺は、すれ違いに難儀する細い道が多く
運転者のセンスが問われる難所だらけ。
せっかく対向車が道を譲ってくれても
変なポイントで車を停められると
電柱が邪魔で通行することができず
ありがた迷惑な事態となって私の毒舌も
マックス状態に達してしまうのです。
「だから来んなって言っただろうか〜っ!」
眼力が強すぎて、悩み話を真剣に聞いていただけなのに
友人を泣かせてしまったことがある私。
声は聞こえずとも、車の中で何やら怒鳴りながら
睨みを利かせていると、さぞ怖いことでしょう。
でもハンドルを握った私は「違う人」。
自制することなんてできません。
ところがある日、自宅付近の難所を通行中、
前方から強引に突っ込んで来る対向車があり
いつものように毒舌人間に変身して、すれ違いざまに睨みつけると
何と運転席には知人の顔が!
気がついてニッコリ笑っても後の祭りで
相手の顔は恐怖でこわばっていました。
「やっちゃった‥‥‥」。
反省した数日後、今度は別の難所で対向車に悪態をつくと
運転者は子供の友達のお母さん。
「ああ、またやっちゃったぁ〜‥‥」
この変貌癖は隠しておきたかったのに‥‥。
ご近所から「あそこの奥さんは毒舌悪態ドライバー」と
認定される日は、近いかもしれません。

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2007年3月16日 (金)

「夫のお使い」

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06.10.3河北新報「週刊きみどり」

先日、化粧品が切れたのに子供が熱を出したため外出できず
仕方なく夫に買って来てもらいました。
化粧品の他にアロマオイルや台所用品など
女性でなければわかりそうにない「お使い」に
少し困り顔で出かけて行った夫。
渡した買い物メモを片手に、さぞオロオロとしながら
店を渡り歩いていることだろうと思うと
意外に早く帰宅した夫は満面の笑みでこう言うのです。
「いや〜、店員さんに優しくしてもらって気分爽快だったよ〜」
黒ずくめの服にサングラス、
アクセサリーをジャラジラつけた髭面の夫が
女性客だらけの店で
居心地よく買いものができるはずはありません。
どんな秘技を使ったのか聞くと
店に入るなり店員に私が書いた買い物メモを渡し
「これ下さい」と言っただけとのこと。
3歳の子供でも言えそうな、その一言だけで
「怖い奥さんに頼まれたのね」
「奥さんは入院中なのかも」と勘違いにも同情され
すべての店で品物を出してもらい、笑顔を振りまかれ、
いたれリ尽くせリの好待遇を受けたそうなのです。
常連の私でさえ、そんなに親切にしてもらったことはないのに
何だか悔しい‥‥。
お使いの任を果たした夫に礼を言うのも忘れて嫉妬した私は
ハタと気がつきました。
そういえば、PTAでも小児科の病院でも
夫の方が良い待遇を受けている!
どうも本来女性がいるべき所に、妻の代理で来た男がいると
気の毒に思うのか、子供の使い同様、
優しくしてもらえる風潮が世の中にはあるようです。
使わされた本人は
「女性から優しくしてもらったのは久し振りだ」とホクホク顔、
お使いに行ってもらった私も助かる‥‥。
これを使わない手はない!
調子に乗って生理用品の「お使い」を頼みましたが
さすがにこれは指令を出すなり却下されました。
「ものには限度がある」
お使いの限度がどこに設定されているのか
研究の余地があるようです。

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2007年3月15日 (木)

「給食のオバちゃんとカレーと私」

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06.9.19河北新報「週刊きみどり」

一向に進まない仕事に悶々としていると
ハッと気がつけば夕飯時。
子供たちはお腹をすかせて不機嫌になっているということが
我が家にはよくあります。
仕事モードの頭から家庭モードの頭へ瞬時には切り替えられず
「あ〜、夕飯何にしよう〜っ!?」と
空腹で泣きそうな子供たちと一緒に
シクシク泣きたくなることも。
そんなとき、我が家に登場するメニューはカレー。
買い置きしてあるカレールーに
テンコ盛りの野菜と肉をぶち込めば
20分ほどで栄養満点の一食が出来上がるからです。
しかし、ここ数年、
我が家の救済メニューのカレーに不思議なことが。
出来上がる5分前、カレールーを加えて味を調えていると
決まって娘たちの声が聞こえてくるのです。
「今日の給食もカレーだったのに〜っ」
一回や二回ならば
「あーら、給食のオバちゃんと私って気が合うのね〜」と
笑い飛ばせますが、これがほぼ100%の確率。
もはや給食のオバちゃんと私は、赤い糸ならぬ
カレー色の糸で結ばれているとしか考えられません。
さらに、去年あたりからは50%の確率で
夫のこんな声も聞こえ始めました。
「俺、今日の昼、カレーうどん食ったんだけど」‥‥‥。
そこで私が考えたのは、カレーの差別化。
普通のカレーを出しても給食の二番煎じになるだけですが
オリジナルカレーならば別物として勝負できる!
そうして考案したオリジナルカレーは
自分で言うのも何ですが、なかなか評判が良く、
鍋いっぱいのカレーがあっという間に無くなるほど。
コツは人参をすり降ろすことと、
ガラムマサラをたっぷり入れること。
隠し味にしょうゆ、ブラックカラントソース、
チョコやココアパウダーを加えると
市販のルーを使ったとは思えない、独特な味になるのです。
昨晩は、これを基本にして作ったトマトカレーが大成功。
鼻高々で食卓に並べると
「今日の給食もトマトカレーだった」。
‥‥給食のオバちゃんと私の絆は
一層深まりつつあるようです。

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2007年3月14日 (水)

「不眠症のおまけ・その1」

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06.8.8河北新報「週刊きみどり」

相変わらず頑固な不眠症から解放されず
1日2時間睡眠の日々をすでに2ヶ月近く送っている私ですが
不眠症にならなければ得られなかった発見や収穫があります。
それは読書とヨガ。
自己分析するに、私の場合はどうやら
公私ともにいろんなことを一人で背負いすぎたのが
今回の不眠症の原因のようです。
この状況から脱却するには
山盛りになっている肩の荷を一つずつ降ろすことが必要と思い、
まず私が始めたのは「夜の仕事をやめること」。
それまでは朝から夕方まで仕事をし、
育児家事で中断した後、家族が寝てからまた仕事という
独り3勤交代生活。
ふざけた漫画とはいえ、夜間の頭脳労働は脳を覚醒させ
睡眠中も「ここのセリフはどうしよう?」と
ウンウン唸っていたこともあったほどでした。
これでは神経が休まる暇がありません。
仙台城跡から飛び降りる覚悟で
夕方以降の一切の仕事をやめた直後の顛末は
以前コラムにも書きましたが、
有り余る夜の時間を前に、しばらく呆然自失の態に陥った後
「久し振りに長編小説でも読むか」と
買いためていた数冊の本を手に取ったのが
今回の読書ブームの火付け。
もう、それからは読むわ、読むわ。
ジャンルなど関係なく、自宅にある本を
1日1冊から2冊のハイペースで片っ端から読んでいます。
それでも足りずに図書館に行ったり
安く買えるネットショップでまとめ買いして読みあさるうちに
わかったことがありました。
今までは手軽な現実逃避として
もっぱら映画鑑賞にふけっていましたが
本は間違いなく映画を上回る、お手軽現実逃避のキング!
チケットを購入して映画館の椅子に座り
携帯の電源を切らなくても
ペラッとめくったその瞬間から別世界にトリップできるのです。
しかし読みたい本は、ほとんどが新刊のハードカバー。
1日1冊だとかなりな出費になるのが痛いところ。
日本の書籍の値段、誰かどうにかしてくれませんか‥‥‥?

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2007年3月13日 (火)

「ただいま不眠日数・記録更新中」

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06.8.1河北新報「週刊きみどり」

もう一ヶ月半も不眠症に悩まされています。
もともと寝付きが悪く、眠りが浅くて寝疲れする体質の私。
一時的な不眠は中学生の頃からの古い友達のような存在でしたが
こんなに長期間寝られない日が続くのは初めてです。
原因は、今年になって公私ともにヤケにまとまって私を攻撃する、
小さなトラブルに対する心労。
「必要以上に考えないようにすれば良い」
「そのうち寝られるはず」と最初は簡単に考えていたのですが
一日一時間しか寝られない日が一週間続いてフラフラになり
さすがに不眠慣れしている私も
「何とかしなくては」と焦り始めました。
まず実行したのは、心配した友人が教えてくれた
睡眠障害克服プログラム。
狂った体内時計を正常に戻すため、毎日決まった時間に起き、
朝の光を浴びて朝食をとり、
正午から午後3時までに30分間の昼寝、
胃を働かせないよう夜10時以降の夜食は厳禁。
2週間続けると睡眠障害が治るという、
このプログラムを励行しても
私の睡眠時間は一日一時間から二時間に伸びただけ。
「本人が頑固なら、不眠症も頑固だなあ」と妙に感心しつつ
しぶとい不眠症対策に明け暮れる日々です。
運動をしたり、中国整体に通ったり
ヒーリング音楽を聴いたり。
しかしどれも、これといった効果は無く
私の睡眠時間は一日2〜3時間のまま伸び悩んでいます。
思い余って市販の睡眠薬を二度服用していましたが
逆に目がさえて寝られず
「私は毒が効かないどこぞの忍者か!」と
我ながら呆れてしまいました。
ここまで寝られないのは、もはや特技としか言えません。
最近は、朝まで続けて寝られることが
神業としか思えないようになってしまいました。
「人生は帳尻が合っている」というので
いつかは帳尻合わせで寝られるようになるのでしょう。
それまでは普通の人より長い一日を
神様からプレゼントされたと思って
楽しむしかないのかもしれません。
‥‥クスン。



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2007年3月12日 (月)

「恥ずかしい思い出」

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07.7.18河北新報「週刊きみどり」

毎日普通に生きているつもりなのに
周りの人を驚かせたり恥ずかしい思いをさせたりしている私。
今までの人生の「恥ずかしい思い出」トップ1は
二十歳の夏に警察署へ連行されたことです。
その頃は中型免許を取るほどのバイク好きで
バイト先と自宅をバイク通勤する毎日。
その日もバイトを終え、
フルフェイスのヘルメットをかぶって
夜道へさっそうと飛び出しましたが
調子に乗って踏切の一時停止を無視してしまった瞬間、
物陰に隠れていたパトカーのサイレンが。
バイクを路肩に停め、誘導されるままパトカーに乗り込むと
バッグの中に入れたはずの免許証が無いではありませんか。
免許証不携帯のため、
警官が無線でバイクのナンバーを署に伝えると
「そのバイクは盗難車です」。
実は数日前に何者かにバイクを盗まれ、
盗難届を出した直後に
近所の空き地に放置されているのを発見したものの
届けを取り下げるのを忘れていたのです。
そんな言い訳が警官相手に「ハイそうですか」と通るはずもなく
容疑者井上はパトカーに乗せられたまま、管轄の警察署へ。
署内は勤務交代の時間か、若い警察官が多数いて
「何かしたの?」と笑いながら私を取り囲み
取調室までついてきます。
大人数の警官の面前で抱えていたヘルメットを机に置くと
真っ白いヘルメット一面に
「うんこ、うんこ、うんこ」という
バイト仲間がマジックで書いた、無数のいたずら書きが!
警官達の冷笑の中、書類を書き終え解放された私は
ご丁寧にサイレンまで鳴らし、低速で走る白バイに誘導されて
自宅までバイクを運転して帰る羽目に。
「何事か?」と自宅前に集まった近所の人達に
聞こえるような大声で
白バイの警官は私の肩にポンと手を置き言いました。
「もう2度とこんなこと、しちゃダメだよ」
その言葉通り、それからの私はすっかり安全運転に。
あれは教育的指導だったんですね。
無理矢理にでもそう思い込まないと、
やってられない思い出の一つです。

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